生命にみる感情とホメオスタシスの関係性

たびたびSF映画で主題として取り上げられるもの、それが「感情を持つロボット」である。この「感情」というものはどう定義すればいいのか?あたかもチューリングテストのように我々がそのものに対して感情を持っていると客観的に判断できればいいのか?それとも主観的な感情の生成が必要なのであろうか?私は後者の立場をとろうと思う。そして、この感情について、神経科学の発展に伴い徐々に感情の神経的基盤が解明されつつある。今回は、感情とは何か、考察していこうと思う。

 

 

情動からみた感情

感情について語るには、まずは情動について語らねばならない。情動とは何か?情動とは、一般的に何かに直面したときに体が無意識に反応して起こす生理的現象をいう。何か危機的状況に陥ったときに、心拍数が上昇したり、呼吸が早まったりしたことは多くの人が経験済みであろう。そして、情動によって生じた身体的変化が意識的な知覚に上ったとき、はじめて感情として認識される。

 

当然のことだが、すべての生物は生きる残るために、生命活動に必要な物質を取り入れ、逆に有害な物質を避けようとする。種の保存にとって極めて重要なことである。しかし、このような活動を細菌などの単純な生物が自らの意思で実行しているとは考え難い。ここに、細菌の持つ情動能力が見て取れる。そして、これらを細菌たちは自ら意識することなく行っている。このような能力は、生物が持つ普遍的な能力なのではないかと私は考える。

このように、情動反応とは単に人間にとどまることなく、すべての生命が生き残り戦略にかけて持つ生命としての基本的な能力といって差し支えないだろう。

 

ホメオスタシスからみた感情

先ほども述べたが、感情とは、生物の体内の生理反応をもとに書き上げられた情動が意識に上ることで生じる。ここで、アントニオ・ダマシオの著書「進化の意外な順序」から引用すると、『感情とは ホメオスタシスの心的な表現であり、感情の庇護のもとで作用するホメオスタシスは、初期の生物を、身体と神経系の並外れた協調関係へと導く機能的な糸とみなすことができる。』『感情は生体内の生命活動の状態を心的に表彰することを可能にする』ということである。内分泌系や免疫系をはじめとする体内の生理機構が、その個体あるいは集団の維持、つまりホメオスタシスを保つために作用し、様々なプロセスを通して体内の状態を感情に表現する。このようにホメオスタシスを意識的に管理するという視点で見ると、感情を持つことは生き残るうえで有利となる。

 

理性と情動の関係からみた感情

ここで、理性について取り上げたい。理性とは、感情を排除することで完全に論理的に物事を客観的に判断することをいう。しかし、人間は理性では説明のつかないことをする生き物である。極端な例で言えば、恋人がくるって自分に銃を向けたとして、あなたはその恋人をライトセイバーで迎え撃つことはできるだろうか?(論理的に見ればその場で迎え撃つのが自身のためだが)おそらくできないだろう。これは、情動によって、自らの認知を超えて無意識にコントロールされているからである。恋人に対する深い愛情に思考が無意識的にコントロールされることで、ライトセイバーで倒そうなどとは到底できない。(例えが悪かった。申し訳ない.....)

このように、理性を超えて自身の行動・思考をコントロールしているのが情動というものである。情動を持つがゆえに、我々は人間であるのかもしれない。情動は生命の定義に含まれて然るものであると私は思う。

 

感情の生物的利点は何か?

なぜ感情を持つようになったのか?おそらくその一つの理由として、感情がある目的を達成するための強力な推進剤になりえるからである。情動が感情として意識的に知覚されることで、その情動行動に意味を見出すことができるようになる。また、こうすることで、危機的な状況に陥ったとしても感情から認知機能を発動させることでより容易に、そして有利に適応することができる。これらの能力は自然界でおそらく人間が最も発達させている生物であることは間違いないだろう。感情が先行することで、人間はそれを行動に移し、このような複雑で高度な社会を作り上げてきたのである。

 

 

(今後さらに加筆する予定です)

 

参考図書

1.「こころ」はいかにして生まれるのか 櫻井 武 著

1.進化の意外な順序 アントニオ・ダマシオ 著

2.カンデル神経科学 エリック・R・カンデル 

 

 

 

 

「見えない」はずのものがわかる!「無意識」の謎

大学である方と話していた時に、視界を認識できるということがいかにも奇妙なことのように思われました。そこで今回は、「見える」ということは一体どういうことなのか?考察していこうと思います。

視覚の起源

「目が見える」とはいったい何なのか?だれしもこのような疑問を持ったことはあるだろう。目の前にあるものを私たちは当然のように認識することができる。根拠は定かではないが、脳の情報処理量の約8割は視覚から入力されるとも言われている。(https://www.tsukubatech.ac.jp/repo/dspace/bitstream/10460/1607/5/Tec25_1_18.pdf)視覚から入力される情報は私たちの色鮮やかな内的世界の構築に極めて大きな存在となる。

 

この視覚というものは、多くの生物で重要な地位を占めているといっても過言ではないだろう。視覚はカンブリア爆発の原因となったとも言われており(Parker, Andrew (2003)In the Blink of an Eye: How Vision Sparked the Big Bang of Evolution Cambridge, MA: Perseus Pub.,ISBN0738206075)、視覚情報が得られるようになったことで、餌や捕食者などを選択的に認識することが可能となった。

 

盲視と無意識の関係性

サルの後頭葉の一次視覚野を切除することで盲視の存在を報告した、1888年の歴史的な論文がある(https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rstb.1888.0011)。一次視覚野を切除したことで、サルは我々が普段行っているような視覚的な認識ができなくなっているにも関わらず、蛇の玩具を近づけると怖がったのだ。これは一般的に「盲視」と呼ばれる現象である。つまり、サルが無意識的な情報処理を(意図的にではないが)行ったことの表れである。これは、視覚などの知覚情報が、一次視覚野を含む大脳皮質だけでなく、大脳辺縁系を中心とした情動回路にも処理されるからである。

 

このような現象はもちろんヒトでも報告されている。ある一次視覚皮質に病変のある患者に、病変部分の視野について尋ねると何も見えないというが、今度は推測させるとかなりの確率でその内容を当てることができるのだ。このように、視覚情報は意識には上らないとしても、無意識に感じ取ることは可能だということである。

 ほかにも、ある健忘症患者の手を握りピンで軽く差す実験で、翌日に前日と同じ人がピンで指した。被験者はピンを刺したのが誰だか覚えてなかったにも関わらず、その人に手を握られるのを嫌がったのだ。このことから、情動反応が意識の支配下の外で作用しうるということがわかる。

 

「無意識」を利用した実験

フランスの有名な認知神経科学者であるStanislas Dehaeneによる「閾下プライミング」という手法を用いた実験がある(Imaging unconscious semantic priming. - PubMed - NCBI)。被験者にある画像を見せる。この画像はプライムとターゲットの2つに分けることができる。プライムの画像は被験者の視覚認識が意識に上らない速度でフラッシュし、その直後にターゲットの画像を認識させる。この時に、ターゲットの認識にかかる時間を測定する。

結果、プライムとターゲットの画像が異なっていた場合に比べて、画像が同一の場合のほうが、ターゲットの画像の認識にかかる時間が早まった。このことは、意識に情報が上らなくとも、無意識下で視覚情報の処理が行われたということを証明している。なんとも不思議ではないか!自分の目に見えているものがすべてを物語っているわけではないということである。 

 

これらの事実は将来、人工意識を生み出す過程においてどのようにコード化されるのだろうか? 

「見えること」自体を解明するのは可能か? 

 「見える」ということができる、すなわちなぜ私たちは視覚から得た情報を意識上で認識できるのか、なぜそう感じるのかという問題はかなり根源的なものである。これは、クオリアにかかわる問題である。

 

この場合、神経事象と精神事象との相関関係が証明できれば、精神活動と神経過程を近似できるという信念のもと研究が行われる。このような手法で行われたある実験を紹介しよう。イタチを使ったある実験によると、一方の聴覚野に他方の眼球からの神経が入力するよう神経経路を繋ぎ変えた。結果、その繋ぎ変えた聴覚野で視覚を感じたとイタチは報告したのである。(Visual behaviour mediated by retinal projections directed to the auditory pathway. - PubMed - NCBI

 

このような手法にもいずれ限界が見えてくることだろう。しかし、その限界を通して新たな知見が得られ、さらに先へと進む道しるべとなるのである。

そうして、このような営みを通して科学はさらに発展していくのである。

 

 参考図書

 いかに参考にした図書をまとめておきます。興味のあるものがあればぜひ手に取ってご覧ください。

 

1.眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く アンドリュー・パーカー 著

1.「こころ」はいかにして生まれるのか 櫻井 武 著

2.進化の意外な順序 アントニオ・ダマシオ 著

3.意識と脳 思考はいかにコード化されるか スタニスラス・ドゥアンヌ 著

5.カンデル神経科学 エリック・R・カンデル 著